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飯塚事件2 その3

1、事件発生から久間さん逮捕まで 後半

次に山方氏は、女児の衣服に付いていた繊維に着目した。

 

当時のマスコミニュースは

 

「久間容疑者の乗っていたワゴン車は売却された直後、警察によって押収されました。警察ではワゴン車を解体して内部を徹底的に調べました。まず事件の物的証拠となったのは、車の後部座席や敷物などに使われていたシートの繊維でした。警察でこの繊維と被害者の衣服についていた繊維と鑑定したところ、同じものであるとの結果が得られたのです。」

 

と報道されていた。

 

繊維鑑定を担当していた元特捜班 小山勝氏は、

「分析した結果、一致したんですね。ウェストコースト(車種)のシートの繊維と色も一致したんですね。」とコメントしている。

 

しかし、これについては番組の内容ではないが、岩田務弁護士が「法と心理2014年14巻の『飯塚事件の再審請求』」という記事において、以下のように説明している。

 

 

「弁23号証における3月2日の最初の供述によれば、T証人が目撃したのは、たんに「紺色のワゴン車」であった。したがって、事後情報による影響をそぎ落とした場合、確実なのは、紺色ワゴン車を目撃した事実だけということになる 。

そうであれば、目撃された車の車種は、数限りなく広がってくる。そうすると、本件Table1の繊維鑑定は、 被害者の衣服付着繊維の材質や染料を、マツダボンゴウエストコーストという特定の車種のシート繊維とだけ比較している鑑定であり、その意義は極めて弱いものとなる 。」

 

 

この岩田弁護士の車の目撃証言で、最初は、紺色のワゴン車だった訳です。その後に色々増えていき、マツダボンゴウエストコーストとなり、その車のシートと被害者の衣服についていた繊維の照合しかしてないわけです。本来であれば、紺色の他のワゴン車のシートの繊維との照合もやった上で判断しないと、その繊維があったというだけで、久間さんの車のものだと言うには証拠としては弱いのではないか。

もし他のワゴン車のシートとの繊維とも一致してしまうなら、この繊維があるからといって被害者が久間さんの車種、マツダボンゴウエストコーストに乗せられていたとは言い切れないからだ。

 

 

西日本新聞の傍示氏は当時の捜査官とのやりとりについて以下のように振り返ってコメントしている。

「山方さん、近藤さんが言っていたのは、やれることは全てやってきたと、その結果久間三千年しかいないと確信を持って彼の逮捕に踏み切るみたいなことを、当時固有名詞を出してのやりとりではないですが、彼しかいないと。そういうところまで俺たちは捜査をつぶしてきたと。

じゃ本当にこの証拠で何とかなるんですかという話をしたときに、いや一本一本は弱いと。DNAも含めて、一つ一つの証拠は極めて弱いと。だけどこれを四つ積み重ねたことによって、我々は確信をもっているということですね。」「もう一つおっしゃったのは、警察の仕事というのは、犯罪を摘発することだけではなく、犯罪を未然に防ぐことも警察の仕事なんだと。また類似事犯を起こす可能性のある人間を拘留するというのは重要な仕事なんだと。それはまさに久間三千年という重要参考人は、過去にそういう事件を起こしてきたと思っていたわけですよね。前に起きたアイコちゃん事件もやっぱり完全に捜査本部は、久間三千年の犯行だと見立てをしてましたからですね。」

「NHK BS1スペシャル 『正義の行方~飯塚事件 30年後の迷宮~』より」 

この傍示氏の話からして警察は、四つの証拠(DNA型鑑定、八丁峠の目撃証言、車内の血痕、繊維鑑定)は弱いと。それを積み重ねたことで犯人と確信したということになっているが、本来弱い証拠をいくつ並べたとしても、それで犯人となるのはおかしいのではないかと。怪しむのは分かるが、犯人だと断定するには本来もっと確かな証拠が必要だと思った。やはりアイコちゃん事件以降、久間さんを疑っていたため、この事件でも久間さんが犯人ではないかとの思い込みが入っていたのではないかと感じた。

 

 

 

そしてついに1994年9月23日に警察は、久間さんを死体遺棄の容疑で逮捕する。事件発生から2年半くらい経ってからということである。

 

久間さん逮捕の日の朝刊 西日本新聞

飯塚市の2女児殺害 新証拠裏付け終わる

車のシート繊維が女児服に付着 鑑定で4種類一致

「NHK BS1スペシャル 『正義の行方~飯塚事件 30年後の迷宮~』より」 
「NHK BS1スペシャル 『正義の行方~飯塚事件 30年後の迷宮~』より」 

そして警察は、久間さんの逮捕後、久間さん宅を捜索した際、家の裏の庭も徹底的に掘り起こした。

警察は、2年前に行方不明になっていたアイコちゃんの遺体が久間さん宅の裏庭に埋められているのではとの疑いを持っていたのである。しかし、結果として庭からは、遺体はもちろん衣類他、何も発見されなかった。

 

その日から久間さんの取り調べが始まった。しかし、久間さんは一切事件を自供しないと。

 

警察は、行き詰まった取り調べを打開するためにポリグラフ検査に踏み切った。山方は行方不明になった女児(アイコちゃん)の事件に的を絞った。

 

福岡県警捜査一課 元特捜班 飯野和明氏によると「3人の3という数字に反応したと。そしてさらに質問を続け、日本ですか?いいえですよね。福岡市ですか?いいえでしょ。福翁地区ですか?いいえでしょ。ちこう地区で反応があったんですよ。」

そのポリグラフ検査で反応があったとされる地区の山林から捜索を開始してわずか25分で女児の衣服が発見された。赤色ジャンパー、トレーナーの上着の2点については母親から確認が取れたが、遺体は発見されなかった。

 

その発見された衣類を見た元西日本新聞 宮崎昌治氏は、次のように語っている。

「5年も6年も雨風にさらされてるような状態ではなかったと。おかしいなと思いましたけどね。何でそんな服が今出てくると?何よりその5年も6年も前に仮に遺棄されたとしてですよ、そんな綺麗な状態で服が見つかるはず無いんで」

「NHK BS1スペシャル 『正義の行方~飯塚事件 30年後の迷宮~』より」 

この宮崎氏は、この番組の中では事件記者として、どちらかというと警察を信頼する、警察寄りのコメントを語っていた人だと感じたが、ただこのコメントの際は、5~6年雨風にさらされていたとされる衣類があまりに綺麗なので、それについてあまりにおかしいという感情を抱いているように見えた。

 

この怪しい綺麗な衣類の発見については、過去の冤罪事件でも同様な証拠のでっち上げ疑惑は起こっていた。袴田事件の5点の衣類、狭山事件の鴨居の上の万年筆など捜査機関によるでっち上げ疑惑である。この飯塚事件も冤罪ではないかと疑われる点の一つである。

 

そして結局、久間さんの取り調べは66日間に及んだが、久間さんは一切自供することはなかった。