布川事件2
②死体検案書の死因
2003年9月、検察から一通の死体検案書が証拠開示された。最初に現場に駆けつけた医師による報告書である。この重要な書類は、30年以上も隠され続けてきたのだ。
そして、この死体検案書の死亡原因のところには、「絞殺(推定)」と書かれていた。
まず、ここでポイントになる重要な2つのキーワードの「絞殺」と「扼殺」について簡単に説明すると、
- 絞殺(こうさつ):ひも状のものを巻いて頸を締めることで窒息死させる殺害方法
- 扼殺(やくさつ):手や腕で咽頭部を圧迫して窒息死させる殺害方法
となる。
布川事件の死体検案書では、上にある絞殺とされていたのだ。つまり、死体解剖した昭和42年(1967年)8月30日の時点で、絞頸(こうけい)=ひもで首を絞めたことで殺された、つまり「絞殺」と判断していたのである。しかし、桜井さんの自白調書では、「両手で首を絞めて殺した」、つまり「扼殺」になっている。この両者は、明らかに矛盾している。
実際、以下のように確定審が認定した犯行事実は、
「午後9時頃、同人(被害者)方8畳間において、両名が玉村を仰向けに押し倒し、杉山がその上に馬乗りになり、桜井が同所にあったタオル及びワイシャツで玉村の両足を緊縛し、両名が玉村の口の中に同所にあった布を押し込み、桜井が玉村の頚部を同所にあった布を巻き付けてその上から両手で喉を強く押して扼し、よって、即時同所において同人を気管閉鎖による窒息死に至らしめてこれを殺害し、桜井が同室内のロッカーから玉村所有の現金約7000円を、杉山は同室内押し入れの中から玉村所有の現金10万円をそれぞれ取得し、もってこれを強取した」と書かれている。
やはり確定判決における殺害方法は、両手で頚を締めたことに0なっているのだ、つまり殺害方法は、「扼殺」となる。
しかし、桜井さんの自白どおりであるならば、首には指や爪の跡が残る。その場合法医学では「扼殺(やくさつ)」と書き、「絞殺」とは書かない。繰り返しになるが、絞殺とは、紐で首を絞めて殺すことだ。そして、この死体検案書にも、頚部(けいぶ)に絞痕(こうこん)あり、つまり、首に紐のあとがあると書かれているのだ。桜井さんの自白では、「扼殺」、死体検案書では「絞殺」となり、このことから、桜井さんの自白が、全くデタラメであることを死体検案書が証明しているのだ。