飯塚事件2 その6
3、再審以降、現在に至るまで 後半
またDNAと並ぶポイントとして着目したのが、八丁峠での車の目撃証言だった。
この証言については以前の記事でも紹介したので、今回は前回の記事になかった部分を少し追加して簡単に紹介する。
1992年
2月20日 事件当日 目撃者A氏が車を目撃
3月7日 捜査員Bが久間さんの車を確認
3月9日 捜査員Bが目撃者A氏にあって車の目撃調書を作成
3月9日に捜査員Bが目撃調書を作成したのだが、その2日前に同じ捜査員Bが久間さんの車を自分で確認に行っていたということである。
徳田弁護士
「そんな馬鹿なことがあるかと思うわけですよ。だって目撃した人から供述調書を作成するわけだから、まずその人に話を聞いてそれを記録するのが普通でしょ。それを作る2日前に何の関係もないはずの久間さんの家に行って久間さんの車を見る。そうすると久間さんの車がどんな車か詳細に分かりますよね。そして2日後に目撃者にどんな車だったのかいう話を聞くなんてのは、もう最初から犯人は久間さんと決めておいて、いかにして目撃者の話が久間さんの車の特徴に一致するかと捜査官は意識しながら聞いていくことになるわけでしょ、これは捜査じゃないんですよね」
番組スタッフ
「何ですかね、これは」
徳田弁護士
「いわゆる見込み捜査とかいうんですけど、私に言わせれば、もう証拠のでっち上げでしょ」
しかも目撃してから17日後の3月9日に20項目証言したということである。
これについては岩田弁護士は以下のように語っている。
「目撃してから17日後に20項目証言したと、記憶していたという信じられないような供述ですね。そうすると誰かそういう情報を入れたとしか考えられない。その時に誰がいたかというと供述した人と記録を作った警察官しかいないわけですから、その警察官が誘導したと考えざるを得ないわけです。何でそのような詳細な内容を記憶できるのか証明して欲しいですよ、できないんですから」
そうすると目撃証言が捜査官に誘導されて作られたとする弁護団の主張を否定するかのように新たな目撃証言についての捜査報告書を検察は裁判所に提出してきたのである。
徳田弁護士
「検察の方がですね。あわてて3月4日の報告書があるというのを出してきたんです。あとでね、3月4日には既に後輪がダブルタイヤだというのが出てると。つまり7日に見に行く前に後輪ダブルタイヤというのは出てるんだから、その部分は少なくとも誘導ではないんじゃないかという問題が出てくるんじゃないかということですね。」
この3月4日の車の目撃証言については、「創」2021年11月号に記載されている記事からの引用になるが、以下のような徳田弁護士のコメントを紹介する。
「実は、最初の供述をした後で、Tさんは現場に立ち会わせられて、横を通り過ぎた時に、後ろのタイヤがダブルであるのが見えるかどうかと実験させられて、見えないと分かったんです。見えるのは、通り過ぎて8メートルくらいでないと、後ろのタイヤは見えないことが分かったんです。そうすると「通り過ぎて、振り返ったらダブルだった」という供述が、その後出てくる。
おかしいですよ。そうだったら最初からそう言えばいい。これは真冬の2月20日、山の上です。恐らく気温は10度未満でしょう。その時に、運転席の窓を開けている。振り返って見るということになれば、運転席の窓を開けて振り返って見るしかないわけです。それがおかしいとなると、「後ろのタイヤが前のタイヤより小さかったので、ダブルではないかと思った」という供述に変わった。
これは、私たちから言わせれば、要するに最初に「後ろのタイヤがダブルだった」と事実ではないことを言わされてしまって、矛盾点が次々出てくると、その矛盾点をいわば補うような形で、供述がどんどん作られていくと。冤罪事件の典型です。
さらに、それだけではなくて、その3月4日の捜査報告書が、午前と午後に分かれている。午前はワゴン車と言っていたものが、午後になると突然ボンゴ車と供述内容が変わるんです。ボンゴ車というのは、マツダが、自分のところのワゴン車につけた名前です。だから、ボンゴという言葉が出てくると、マツダに限定されるわけです。こんな捜査報告書ができた上に、午後の調査報告書には、なんとマツダのウエストコーストの型式がずらーっと載っている。
3月4日の時点で、久間さんが持っている車がウエストコーストだと特定されて、その型式が捜査報告書に全部上がっている。つまり捜査側は、3月4日の時点では、犯人は久間さんに違いないと思い込んでいる。だから久間さんの車はマツダのウエストコーストだと、これに合うような形で目撃したというTさんの供述内容を作っている。そんなふうに目撃証言が作られていることが、分かってきたのです。」(創 2021年11月号P89) |
この文章を読むと、車の証言「ダブルタイヤ」も本当に信憑性が怪しく感じた。こんな証言で死刑になったらたまったものではないと感じた。以下の証言現場の再現映像を一度ご覧頂きたい。このような蛇行した細い山道を車の窓も開けないで、通り過ぎた後の一瞬で車の後輪がダブルタイヤとまで目撃するのはやはり難しいように思った。
飯塚事件T証言再現映像
話を再びDNA型鑑定に戻すと、DNA型鑑定に関しては、弁護団から反論があり、裁判所はこのDNA型鑑定を事実上、証拠として採用することをやめる判断を下したのだ。
これについて、西日本新聞傍示氏は以下のような感想を述べている。
「事実上DNAというものを却下したということですね。あれは衝撃でしたね。いわゆる証拠価値がないという認定をしたことですよね。そこくらいからですね。やっぱり自分の中にあった安堵感よりももしかしたら真犯人がいるんじゃないかというふうな疑問が大きくなっていったですね。やっぱりこの裁判ってどこか間違っているんじゃないかと、もしかしたら冤罪という可能性もあるんじゃないかと思いがどんどんどんどん膨らんでいったのは事実ですよね。だって元々DNA鑑定から始まったんですよ、この事件の捜査というのはですね。最初、最大の柱と思っていた部分が全面否定されたっていうかね。だから自分の中では大きな柱がポキッと折れたような部分がありましたね。」
「特に重要参考人浮かぶと書いたときには、基本的にはDNAしかないようなところがあったんですからね。」
傍示氏はDNA型鑑定が証拠から外されたことでやはりこの裁判から疑問を払拭することができず、納得できるレベルまでゼロベースでこの事件というのは何だったのかと、調査報道でもう一度検証してみたいと思ったそうだ。そして2017年6月に西日本新聞は事件の検証に動き出した。そして傍示氏は、調査報道では手練れの中島邦之氏とその相棒として中原興平氏の二人に取材を依頼したのである。
2017年に西日本新聞編集委員の中島邦之氏と同新聞社記者の中原興平氏による取材が開始された。
この二人の取材に対する姿勢は、自分たちが納得いくまで自分の脚と目で徹底的に調査するという意気込みが感じられた。このような記者の姿を見れてなぜかうれしくなった。この取材に対する気合い、考え方、行動力は尊敬に値する。
DNA型鑑定についての彼らの取材について紹介したい。
帝京大学の石山教授が、「ある警察庁の幹部の方が来て、『捜査の妨害になる』と言われました」という趣旨のことを裁判で証言していた。これは穏やかな話ではないということでこの二人は石山教授に取材に行って直接確認したのである。
中原興平氏
「我々は、まあ、これは本当なのかということで、石山さんに取材をしたと。そうすると『先生の鑑定が出ると非常に困る』と、ちょっと踏み込んだ形で(幹部から)言われたんだとおっしゃったんですね。」「ここで我々が知ったのは、その警察の幹部というのが実は、警察庁長官になられた、今からすると元になりますが、国松さんであったと。非常に力があるお方ですから。力があるというのは悪い意味ではなくですね。これはまあ。国松さんに取材せざるを得ないと」
中島邦之氏曰く、当時の国松孝次氏(警察庁刑事局長)は、新しい捜査の武器としてDNA型鑑定を全国的に普及させていこうとする、DNA型の鑑定制度の制度化に向けて動いていた人だというのだ。そういう意味では石山鑑定がその時期の国松氏にとっては、飯塚事件にとってもありがたくないし、DNA型鑑定の制度化にとっても、迷惑な存在になったのではということである。
そこで中島氏、中原氏は国松氏に取材を申し込むとメールで何回かやりとりがあり、最終的に受けてくれたと。
二人は、国松元警察庁長官の取材に向かった。
中島氏は、国松氏のインタビュー内容として以下のように語っている。
「『「飯塚事件のことは頭にあるからひょっとしたら飯塚事件について妥協してくれと言ってるように受け取られたかもしれない』(国松氏発言)との発言あるんですね。」
『DNA鑑定は、客観的に結果が出るんだと。DNAがあるならあるし、ないならないんだと。石山鑑定についてですね、妥協しろというほど僕は不見識な男ではない』(国松氏発言)
「ただこうも言っているんですね『公式的な訪問でもなければ、2人きりの会話で録音もない。飯塚事件の「い」の字も出さなかったとは言えない。それはこちらの弱いところだな』(国松氏発言)と。」
石山教授と国松警察庁刑事局長(当時)の発言は真っ向からぶつかっている。ただ石山教授は、警察幹部から「先生の鑑定が出ると非常に困る」と言われたということを公判や新聞の取材で証言することは、警察権力に背くことになり相当な覚悟がないと発言できないだろうし、メリットがあると思えないのに対して、国松警察庁刑事局長は自分がDNA型鑑定を推進しようとしていた訳だから、そうした発言をしていてもおかしくはない。この点からすれば、やはり石山教授の発言の方が信憑性が高いと感じた。
西日本新聞の飯塚事件の取材記事については、2019年6月で連載をひとまず終えた。
スタッフ
「久間三千年元死刑囚っていうのは現時点で有罪、無罪、あるいは無実、どういう考えに達していらっしゃるんですか?」
中島邦之(西日本新聞編集委員)
「難しい質問ですね。久間さんが、真犯人なのかそうではないのか、無実なのかっていうのは分かりませんよね。それはもう。神様でも無い限り。知りたいですけども。しかし、裁判の世界においてはですね、当たり前のことですけども、証拠が不十分なら無罪になるんですよ。無罪にならなければいけないんですよね。疑わしきには被告人の利益になんですよ。それで言えば、その基準に照らせばですね、死刑にするだけの十分な証拠があるとは思えない。裁判所は、司法というのは信頼できるんだと。任しておけば大丈夫なんだとのんきに思ってきたけども、そうではないと。やはりこのことこそ社会に知らせるべきだし、知ってもらわなければいけない。それこそが我々の使命なんだと思ってます。」
この中島氏の発言は非常に説得力があり、また重い発言だと思う。
中島氏が言うように、国民はこの司法、裁判所の現状というものにもっと興味をもって知る必要があると思った。特に冤罪が疑われている事件の判決には興味をもって自分でも調べ、自分の頭で考える必要があると思った。
2021年4月21日に最高裁決定が出た。最高裁は、再審の申し立てを棄却した。
弁護団の200ページあまりの主張に対して、最高裁から届いたものはわずかに6ページだったのだ。そして、これまでの地裁、高裁の判断は正当で、久間さんが犯人だと高度に立証されているとした。
飯塚事件弁護団共同代表の徳田靖之氏は以下のように記者会見で述べている。
「一人の命を国家が奪ったかもしれない。無辜(むこ)の人の命を奪ったかもしれないという事件が問われている。その事件を判断するに当たってこの程度の理由しか示せないのかというのが率直な感想なんですね。我々が提起した色々なことに対して、ことごとく論破されたんであれば、私達なりにこれはもう一回考え直さなければいけないなという形で受け止めることも可能なんですけども、これを読んでですね、これは何て言っていいのか、あの最高裁の決定、良識ある裁判官が書いた文章とは到底思えないというのが、私の印象です。そういう意味で、あきれたと申し上げてもいいかなという感じがします。五人の裁判官の全員一致と書いてありますけど、五人の最高裁判事の皆さん、あなた方はこんなことをしていて恥ずかしくないですかと言いたいですよね。」
2021年7月9日に第2次再審請求を申し立てることになった。これからもこの裁判は
続くのである。是非みなさんにも注目し続けて欲しい。