狭山事件 その5
2、事件の考察 ④その他
1)地下足袋の違い
犯人を取り逃がした翌日の5月3日に身代金の受け渡し場所だった「佐野屋」の近くの畑で犯人と思われる足跡が発見された。40個以上の足跡の内3個について石膏を用いて採取し、これを埼玉県警鑑識課が調べた結果、5月4日付けの報告書には現場の足跡は「十文ないし十文半(24㎝ないし25㎝)の大きさの職人足袋」と記載されている。
この現場の足跡が、石川さん宅から押収された地下足袋によってできた足跡であるとして、判決において有罪の証拠の一つとされている。
しかし、まずこの足袋は石川さんの物ではなく、兄の六造さんのものであった。これは警察も知っていたわけである。だから石川さんが自白しないので「兄を逮捕しなければ」と言い出したわけだ。
さらに警察が押収した六造さんの地下足袋のサイズはすべて「九文七分(23.5㎝)」であった。現場の足跡のサイズは、十文ないし十文半(24㎝ないし25㎝)の大きさの職人足袋」との報告になっていたことから考えると、これは六造さんの地下足袋と現場の足跡は別物であると普通は考えるが、驚くべきことに、現場足跡は、押収した六造さんの地下足袋で作られた対照用の足跡と同じ物との結論が出されるわけである。
ちなみに弁護団の鑑定人は、現場と同じ状況で「九文七分(23.5㎝)」の地下足袋を使って実際に足跡を作り、精密な検証を行った。その結果が以下の表に示されている。
検察、裁判所は、この地下足袋が有罪判決の証拠の一つと言うなら、このサイズの矛盾について科学的根拠を持って説明するべきである。
また石川さんの足のサイズは、十文半(25㎝)である。よって身代金を奪って逃亡することが予想される中、1.5㎝も小さい兄さんの六造さんの地下足袋をはいて佐野屋に行ったという自白自体が不自然過ぎると言わざるを得ない。
2)去年開示された証拠にあった犯行現場近くにいた男性の調書
およそ半世紀ぶりに開示された証拠の中には、ある証言をした男性の調書が含まれていた。男性は犯行時間と同じ時刻に犯行現場とされるわずか20メートルほどの距離で農作業をしていたのである。
調書には善枝さんが悲鳴を上げたとされている。
Q「実際に悲鳴や物音なとは聞いていないのか」との質問に対して
しかし、この男性は「変な声とは全然聞いていない」と答えている。しかも、
Q「それは警察にも同じ事を言った?」
「話してあります。」
と答えているのである。
3)その他 関連資料
さらに被害者をとりまく関係者が次々と不審な死を遂げていた。
5/4 被害者(16歳)遺体発見
5/6 中田家元使用人(30歳) 農薬を飲んで自殺(翌日は自分の結婚式)
5/11 不審者を目撃した人(31歳) 胸をナイフで突き、自殺
翌年7月 姉(24歳)(身代金を持って行った) 農薬を飲んで自殺
66年10月 一時容疑者とされた人 溺死体で発見
77年10月 被害者の次兄(33歳) 首を吊って自殺
参考データ
https://www.youtube.com/watch?v=tKfHxGgQTr8
[昭和49年10月] 中日ニュース No.1082 2「狭山事件の謎」
https://www.youtube.com/watch?v=HNGEUSaJFDo
追跡!狭山事件の真相と謎―昭和の冤罪事件
https://www.youtube.com/watch?v=BzwH_pYg9iY
狭山事件の発生から50年を報じるテレビ東京とNHK(2013.5.1)