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狭山事件 その2

2、事件の考察 ①万年筆の発見時期、インクの色、指紋無し

この事件が冤罪事件と一番目に思う点は、被害者の物とされる万年筆についての内容である。

 

この万年筆は、犯人とされ逮捕された石川さんの自白では被害者の善枝さんのカバンを捨てるときに、その中にあった筆箱の中の万年筆を取り出し、それを使って脅迫状を訂正したと。そしてその万年筆を石川さん宅の鴨居の上に隠して置いたことになっている。

(ニュースの記憶 テレビ朝日から)

5月23日の石川さん逮捕後、2度にわたる家宅捜索が行われたが、しかし、その際には万年筆は発見されなかった。

(ニュースの記憶 テレビ朝日から)

ところが石川さんの自白後に行われた3度目の家宅捜索の時に、鴨居の上から万年筆が発見されるのである。

(ニュースの記憶 テレビ朝日から)

まずこの万年筆の発見される時期が引っかかる。2度に渡る家宅捜索の際に、なぜ万年筆が見つからなかったのだろうか。

 

特に2回目の捜索の目的は、被害者の所持品の万年筆、カバン、時計を捜すためと捜索調書に書かれていたのである。石川さん宅の間取りは、四畳半くらいの部屋が5つあり、それを12人の刑事で捜索したのである。責任者1人、カメラマン1人以外の10人を2人ずつ5部屋に割り振って、2時間にも渡って捜索したのである。

 

後に発見される万年筆が置いてあった場所は、高さ176㎝鴨居の右端から約15㎝のところである。この176㎝の高さの鴨居の部分を確認しなかったとはにわかには信じがたい。弁護団の調べで捜査官の中には身長が173㎝の人がいたことがわかっている。しかも、以下の写真もあるとおり神棚等を見るためにも脚立を使って捜索したことが明らかになっている。この体制での捜索でなぜ目的であった万年筆を見つけられなかったのだろうか。

 

 

 

事実、一回目の家宅捜索の時の写真にも鴨居の下に脚立が置かれていたのが判明している。

(ニュースの記憶 テレビ朝日から)

2度目の家宅捜索の写真。脚立などの台を使って神棚も調べていた。

(「知っていますか 狭山事件 一問一答 解放出版社」から)

この万年筆について一度目の家宅捜索にあたった元警察官が1992年に以下のような重大な証言をした。

 

「後になって鴨居のところから万年筆が発見されたと言われ、全くびっくりしました。発見された所は、私が間違いなく捜して何もなかった所です。」

(ニュースの記憶 テレビ朝日から)

このことを受け、以下のように1992年7月10日の愛媛新聞では、「押収証拠(万年筆)はねつ造?」との見出しの記事が書かれている

(1992年7月10日 愛媛新聞から )

さらにこの万年筆を発見したのは、捜索に立ち会った石川さんの兄の六造さんだったのである。

 

3度目の捜索の時には、入室する前に警察から「万年筆がある」と六造さんは言われ、図面を見せられたのである。

 

その図面を見て、六造さんが部屋の中に入って確認したところ、なんと図面通り鴨居のところに万年筆があったのである。これがその時の写真である。

(ニュースの記憶 テレビ朝日から)

そして驚くべき事に、この写真のとおり被害者のものとされる万年筆は最重要証拠にも関わらず、兄の六造さんが素手で握っているのである。

 

実際六造さんはインタビューでこの時の警察とのやりとりについて以下のように答えているのである。

 

「(警察に)『いいのかい素手で?』って言ったんです。いいというんですよ。あったんだから、兄さんも見て、みんなも見ているからいいんだと。私、素手ですよ、素手」(兄:六造さん)と

 

なぜ警察官は、このような最重要証拠を兄の六造さんに素手で持たせたのか?この点は杜撰な捜索であるだけでなく、何かの意図を感じる。「兄の六造さんが最初に発見したんだよ」という既成事実を作るために・・・。さらにこの万年筆から石川さんの指紋は見つかっていない。

 

万年筆の謎はまだある。

 

石川さん宅で発見された万年筆は、ブルーブラックのインクが入っていた。ところが、被害者の善枝さんは、事件当日のペン習字の授業まで一貫してライトブルーのインクを使っていたことが明らかになっている。

(ニュースの記憶 テレビ朝日から)

裁判所は「インクを補充したと推測する余地も残されていないわけではない」として訴えを退けている。

 

この万年筆は、内部がスポイト式だった。善枝さんが当日にインクを入れたとすれば、当然その部分にも善枝さんの指紋が付いているはずである。

 

しかし、この万年筆には、善枝さんの指紋が一切付いていなかったのである。

 

さらに、このあとの脅迫状のところでも説明するが石川さんは、学校でもほとんど勉強せず、字を書くような生活とは無縁の暮らしをしていた。よって万年筆を持っていてもなんの役にも立たない。金目の物だからとして持ち帰ったとしても、自白では、被害者の腕時計も同じく持ち帰って保管しているが、この腕時計は5月11日頃、茶畑近くに捨てているのである。片方は保管して、片方は捨てに行っており、その行動に一貫性がないのはおかしいのではないか。万年筆もピンク色で一見して女性物とわかる物である。このような、もし犯人であればいわゆる「危ない」ものをなぜ、自宅の鴨居の上に置いたのか、どう考えてもおかしな話である。

 

裁判では、万年筆が自白した場所から発見されたということで、自白は信用でき、被害者の持ち物だから犯人に間違いないとの決定的証拠として挙げている(犯人でしか知り得ない情報、いわゆる秘密の暴露とされている)。しかし、そもそもそれが成り立つのは、

 

a)自白が警察、検察による自白の誘導がない真実を語った内容であること。

b)石川さん宅の鴨居の上から見つかった万年筆が善枝さん本人のものであるということ

 

の両方が客観的にかつ明確に証明されて始めてのことである。

 

以上のことを簡単にまとめると

 

1)万年筆の見つかった時期(自白後の3度目の家宅捜索で突然発見)

2)家宅捜索の内容(被害者の持ち物を捜す目的。脚立も使用)

3)石川さん、被害者の善枝さんの両人の指紋が万年筆から検出されていない

4)インクの色の違い(鴨居の上の万年筆:ブラックブルー、善枝さんの万年筆:ライトブルー)

5)石川さんが、万年筆だけ隠し持つ利益、必要性がない(字を書くこともない。腕時計は捨てている)

 

となり、これらから誰がどう考えても、この石川さん宅の鴨居から見つかった万年筆は被害者の善枝さんのものなのか疑わしいと言わざるを得ない。