袴田事件2
2018年6月11日に東京高等裁判所は、袴田厳さん(82歳)の再審開始を認めない決定を行った。今回の東京高裁の不当判決についてご紹介したい。
東京高裁の今回の決定の主な4点
①静岡地裁の再審開始決定の取り消し
②地裁の決定の根拠になったDNA型鑑定は信用できない
③弁護団が主張する捜査機関による5点の衣類のねつ造の可能性は根拠に乏しい
④年齢や健康状態に照らし、死刑と拘置の執行停止は取り消さない
④以外の決定は、驚きを通り越し、怒りさえ覚えた。2014年3月に静岡地裁から「捜査機関のねつ造が疑われる」とまで批判されたいわゆる「5点の衣類」のDNA鑑定について、東京高裁は、全く逆の結論を出したからだ。
1、DNA鑑定について
まず今回メインの争点になったDNA鑑定に関して紹介する。
犯行時に着ていたとされる白色半袖Tシャツの右肩部分の血痕(上の写真の赤丸で囲まれた部分の血痕)を袴田さんのものではないと主張した本田鑑定の有効性が争点となったわけである。
静岡地裁から「捜査機関のねつ造が疑われる」とまで批判されたいわゆる「5点の衣類」の信憑性を徹底検証するというより、右肩部分の血痕のDNAが袴田さんのものであるかないかという点だけで決定がなされたということになる。
東京高裁は、筑波大学本田教授の「犯行時に着ていたとされる白色半袖Tシャツの右肩部分の血痕を袴田さんのものではない」と認定したDNA鑑定について「科学的原理や有用性に深刻な問題が存在しているのに、選択的抽出法を過大評価している」と批判したのである。
ここで言っている選択的抽出法とは、何かの物質に汚染されている可能性のあるTシャツの血痕から、血液に関係するDNA型だけを取り出すために、血液細胞に反応するレクチンというタンパク質を試薬として使用した方法である。これは本田教授の独自の手法である。
ここで重要なのが、もともとこのDNA鑑定は、第2次再審の時に裁判所から弁護団に促されたのである。しかも、裁判所は「5点の衣類の血液由来のDNA型を採取しろ」という指示を出したわけである。本来、この血液由来のDNAを採取しろという指示が、もともと難しいことだったのである。この難しいことを本田教授が、いろいろ工夫して血液細胞だけを集める作用のある「抗Hレクチン」を使い、血液由来のDNA型のみを選択的に抽出する方法を行い、成功させた訳である。
ところが、検察側の推薦により東京高裁が検証を委託した大阪大学鈴木広一教授は「レクチンにDNAを分解する酵素が含まれ、DNA型の検出量が格段に少なくなる」ということで本田鑑定を不適切と指摘した。
少なくなっても検出されたらそれでいいのではと思ってしまうのだが・・・・、難癖付けられたように感じてならない。鈴木教授も批判を行うだけでは無く、なぜ自分でもDNA鑑定をしないのだろうか・・・。
弁護団は、本田鑑定の再現実験を行い、鑑定の正当性、有効性を主張したが、東京高裁は、「DNAを分解するレクチンを使ったことは疑問。一般的に確立されていない方法、DNAの抽出過程で本田鑑定の過程にはない酵素を使い、再現とは言えない。」として、検察の主張をほぼ全面的に容認したのである。
弁護団 | 検察側 | 高裁決定 | |
本 |
・鈴木教授の検証は、レクチンを加えても極めて少数だが古い血痕からDNA型が検出されることを示した。
・弁護団の再現実験でもDNAは検出された。 |
・レクチンにはDNAを分解する酵素が含まれ、DNA型の検出量が格段に少なくなる。
・弁護団の再現実験は、本田鑑定の手法と異なり、他の専門家も立ち会わず中立性を欠く。 |
・シャツは保存状態が悪く、抽出できるDNAの量が少ないと考えられるのに、DNAを分解するレクチンを使ったことは疑問。
・弁護団の再現実験は、DNAの抽出過程で本田鑑定の過程にはない酵素を使い、再現とは言えない。 |
以上のように今回の高裁の決定は、本田鑑定に対する批判をしただけのように感じられる。
2017年9月に、本田・鈴木両教授の鑑定人尋問が実施されたが、尋問調書によると、東京高裁が本田教授に積極的に質問していた形跡がないのである。
※西嶋勝彦弁護団長は「疑問をぶつけず、そのくせ決定に批判的なことをいうのはおかしい。今回の決定には承服できない」(2018年6月12日 東京新聞より引用)
その一方、東京高裁は、鈴木鑑定にほとんど触れていない。このような点から見ても、今回の高裁の決定は非常に偏った決定だと言える。東京高裁は、鈴木教授に、本田鑑定の検証ではなく、独自に別の鑑定をするよう促すべきだったのではないか。
袴田事件は、冤罪の可能性が極めて高い事件であるにも関わらず、このような裁判所のやり方には、到底納得できない。近代法治国家としてこの裁判所のやり方や判断を容認して本当に良いのだろうか。
「疑わしきは、被告人の利益に」という法の原則ではなく、むしろ全く逆の「一度警察・検察に『黒だ』とされた被告人は、自ら全く白だと完全証明できない限り『黒』とし続ける」ということになる。極めて恐ろしい論理だと言わざるを得ない。
この論理、判断がまかり通れば、これからも冤罪が生まれ続ける可能性が高いことになる。国民一人一人が、いつ自分が袴田さんの立場になるかもしれないと考えて、この裁判には目を離さず、声を上げるべきだと考える。