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飯塚事件 その5

5、死刑執行の早さ、時期の問題

 

飯塚事件は、なんと冤罪事件である「足利事件が再鑑定される」との報道がなされた12日後に死刑が執行された。以下が、飯塚事件の主な時系列である。

 

1992年2月20日 女児2名行方不明

1992年2月21日 遺体発見

1992年2月25日 久間さん宅訪問 事件当日のアリバイの事情聴取

1992年3月20日 毛髪の任意提出

1992年3月23日 科警研に被害者らの現場の遺留品のDNA、血液型鑑定依頼①

1992年4月21日 科警研に久間さんの毛髪のDNA・血液型鑑定依頼②

1992年6月15日 科警研鑑定書①

1992年6月19日 科警研鑑定書②

1992年7月3日  帝京大学に同試料についてDNA鑑定依頼

1994年1月12日 帝京大学からDNA鑑定書 久間さんのDNA不検出

1994年3月23日 東レから被害者の着衣から採取された繊維と久間さんの車のシート繊維が一致するとの鑑定書提出

1994年9月23日 久間さんを死体遺棄容疑で逮捕

1994年10月14日 誘拐、殺人で久間さんを再逮捕

1994年11月5日  同容疑で久間さんを起訴

 

1999年9月29日 福岡地裁 死刑判決

2001年10月10日 福岡高裁 控訴棄却

2006年 9月 8日 最高裁 上告棄却

2008年10月16日 「足利事件が再鑑定へ」の報道がなされる

2008年10月28日 飯塚事件 久間さんの死刑執行

2009年 4月20日 足利事件 再鑑定で一致せず 当時の鑑定が誤りだったと認定

2009年 6月4日  足利事件の管家利和さん、釈放

 

 

死刑の確定から2年しか経っていない中でなぜ、死刑を執行したのか?

 

久間さんは死刑執行のおよそ2か月前に手紙で無実を訴えていた。

「明らかに冤罪」「真実は必ず再審にてこの暗闇を照らすであろうことを信じて疑わない」

 

執行1か月前の接見の時に弁護団に対して再審請求についても強く望んでいた。

 

「久間さんの名誉を回復するまでは何度でも再審請求をする、それが贖罪だ」と徳田弁護士は語っている。

 

死刑執行を命じた当時の森法務大臣は、当時の会見でこう説明していた。

「十分慎重かつ適正な検討を加えた上で執行を命令したのでございまして、時期とか間隔とは一切意識にありません」

 

いったいどんな検討が加えられたのか。

 

NNNドキュメントの取材で執行の命令が下された資料の全て黒塗りだったのだ・・・

(「NNNドキュメント 死刑執行は正しかったのか」より)

この死刑執行は極めて問題だったとしか言いようがない。こんなことがあってはならないし、もっとこの事件について国民はよく知るべきだと思う。

 

 

冒頭にも書いたが、この事件は、無実の人間に対して死刑を執行した可能性もある(その可能性が高いと感じる)、つまり無実の人間を国家が殺害した可能性もあるという、死刑制度を揺るがすほどの極めて重大な問題をはらむ事件であることは間違いない。

 

この事件について十分に知った上で、死刑制度の賛否については議論すべきだと強く感じる。

特に死刑賛成派(存置派)の方には必ず内容を十分に知って頂きたい事件である。

 

この飯塚事件に関しては興味を持って頂き、一度自分でも調べて頂きたい。

 

 

 

参考文献・データ

 

NNNドキュメント 死刑執行は正しかったのか 2013年7月28日放送

NNNドキュメント 死刑執行は正しかったのかⅡ 冤罪を訴える妻 2017年9月3日

 

「冤罪死刑 戦後6事件をたどる」 里見繁 インパクト出版会

「絞首刑」 青木理 講談社出版

「法医学者が見た再審無罪の真相」押田茂實 祥伝社新書

「殺人犯はそこにいる」 清水潔 新潮社