飯塚事件 その2
1、車の目撃証言
これが重要な証拠の一つとなる。事件当日の現場近くで紺色のワンボックスカーが目撃されていたと。この車と久間さんの車の特徴が一致したとされた。目撃者A氏の証言である。
しかし、弁護団はこのA氏の目撃証言には重大な疑惑があるとしている。
A氏によると紺色のワンボックスカーは、被害者女児の遺留品近くで目撃されたと。そしてその際に犯人と思われる人物やその車について以下のような証言をしている。
①雑木林から男が出てきて、慌てて前屈みに滑った
②車の車体にはラインが入ってなかった
③後部タイヤはダブルタイヤであった
④窓ガラスは黒いフィルムが貼られていた
⑤男はワゴン車の横に立ち背を向けていた
その他にも男の髪型、年齢、服の色や特徴についても細かく証言している。
警察は、これらの特徴を持った車は、福岡県内では久間さんの車だけだと認定した。しかしこの証言について重大な疑惑が出てくることになる。
まず、この車と男の目撃現場は細い山道のカーブのところである。脇見が余りできないような運転中にこれだけの情報をきちんと目撃することが可能なのかという点である。山道のカーブですれ違う際にせいぜい10秒程度、問題の車を目撃しただけなのにである。
弁護団は、この車の目撃証言の信憑性を測るために日本大学心理学科厳島行雄教授に再現実験を依頼した。
実際に行われたのは、現場に同じ特徴のワゴン車と人物を配置して、目的を知らされていない30人の人に同じ山道を車で走ってもらって、A氏と同じような詳細な証言が可能かどうかを検証する実験である。
実験の結果、車や人物についてのA氏のような詳細な目撃証言を、30人の内誰一人報告できなかったのである。(この再現実験は、2001年と2010年の2回、合計75人の被験者で行われたが、被験者の目撃した車に関する証言はどれも非常に曖昧で、不正確だったのである。)
ちなみに、記憶力抜群のはずの目撃証人のA氏は、当初目撃現場までなかなか警察官を案内できなかったということである。(冤罪ファイルNo18 2003年3月号 P97参照)
ではなぜA氏は、詳しく証言できたのだろうか。普通に考えて捜査員に誘導された可能性も疑われる。
(タンジェント・ポイント理論と呼ばれる、「車でカーブを曲がるときに、道路に沿って曲がる方向に視線を向けるという眼球運動を行う」という理論がある。車の目撃証言の場所は左カーブの場所であった。当時の捜査資料によれば、A氏は車とすれ違う際に「右斜め後ろ方向を向いて」と証言していた。しかし、タンジェント・ポイント理論からすると、このような運転をしながらの詳細に目撃することは不可能に思われる。厳島教授は、このような運転はあり得ないと述べている)
そして、厳島教授は、A氏の証言には不自然な部分があると言う。それは「車体ラインが入っていなかった」との証言である。
厳島教授曰く、
「ラインが入っていない車を見てわざわざ「車体にはラインが入っていなかった」との証言をすることが不自然だ」と。
確かにその通りだと感じる。理にかなった話だ。
実は、久間さんの車はもともと黄色とオレンジのラインが入っていたが、自分でそのラインをはがして乗っていたのである。その結果、シルバーのラインの跡が少し残った独特の外観になっていた。
厳島教授は、A氏の車の目撃証言は、捜査員の誘導尋問であった可能性があるのではと考えた。つまり、捜査員の誘導によって、「車にはラインが無かった」とするAの氏の証言が引き出されたのではないかということである。
弁護団も、「目撃証言は捜査員によって作り出されたもの」と主張した。
2012年12月に重要な疑惑が生じた。当時の捜査資料から弁護団主張を裏付ける証拠が明らかになったのである。
当時の捜査資料から時系列をまとめると以下のようになる。
1992年2月20日 事件当日 A氏が車を目撃
3月 7日 捜査員B氏が久間さんの車を確認
「車にラインは無かった」との特徴が確認されていた
3月 9日 捜査員B氏がA氏に会って車の目撃調書を作成
→この調書によって久間さんに捜査の的を絞ったことになっていた
A氏が山道で不審なワゴン車を目撃したのは事件当日の1992年2月20日である
その後3月9日に捜査員B氏によってA氏の目撃調書が作成される。この目撃調書から久間さんに捜査に的を絞ったことになっていた。
しかし、問題はこの調書作成の2日前の3月7日に捜査員B氏自身が、久間さん保有の車の確認を行っていたということである。そしてその日の捜査資料に久間さんの車について「車にラインは無かった」との特徴が書かれていたのである。
つまり、先に久間さんの車を見に行って、その車の特徴を確認した上で、その後に目撃者から供述調書を作成していたということである。
さらにおかしなことに、日を追うごとに目撃証言が詳しくなっていったのである。実は、A氏が最初に警察から車の聞き取りを受けたのは、事件から11日経ってからのことである。
事件から11日後 「紺色のワゴン車」とだけ答えた
事件から13日後 「紺色のワゴン車、紺色ボンゴ車、後輪ダブルタイヤ」
事件から18日後 「紺色のワゴン車、紺色ボンゴ車、後輪ダブルタイヤ、ガラスにフィルム」
このように時間が経つごとに証言が詳細になっていったのである。人間の記憶量と時間との関係から考えて、あり得ないのではないか。A氏は「車はトヨタやニッサンではない」と証言しているが、ライン同様「ないものをない」と証言するのはおかしなことではないか。
つまりその目撃調書作成時に、捜査員の誘導があったのではないかと疑わざるを得ないのである。
さらに目撃証言の信憑性が問われる問題は、他にもあった。
車にはナンバープレートとは別に車検証などに記載されている「型式番号」というものが割り振られている。この型式番号から新たな疑惑が浮上した。久間さんが乗っていたマツダのボンゴは事件が発生した1992年までモデルチェンジを繰り返し行っており、全部で27種類の型式が存在している。
しかし、捜査資料には、まだ犯人の絞り込み途中にもかかわらず、27種類の内、なぜか4つの型式番号しか記載されていなかったのだ。
そして驚くべきことにこの4つの型式番号は、まさに久間さんが乗っていた車のカタログに記載された4つの型式番号と完全に一致したのである。やはり最初から捜査の的を久間さんに絞っていたことが濃厚である。
この捜査方法では、客観的な供述調書だと言えないのではないか。重大な疑惑としか言いようがない。これが死刑判決の重要な証拠になっているのである。
※補足
ではそもそもなぜ警察は、久間さんを疑い、車を確認しに行ったのか。
それは、A氏の車の目撃証言があったからではなく、飯塚事件の4年前、近所で同じような7歳の幼女が行方不明になった事件があり、その犯人が、久間さんではないかという思い込みが警察にあったためではないかと弁護団は見ている。この行方不明事件では、容疑者は、複数人いたが、その中に久間さんも入っていたのである。
弁護団の岩田務弁護士は「典型的な見込み捜査」だと発言している。