飯塚事件
①事件の概要
1992年2月20日朝、福岡県飯塚市で小学1年生の女児2人(共に当時7歳)が登校中にそろって行方不明となり、翌21日、同県甘木市(現朝倉市)の国道崖下約10メートルの雑木林で遺体となって発見された。
事件から1か月後の3月20日、県警は、無職男性久間さん(当時54歳)を参考人として取り調べ、任意提出を受けた毛髪と指紋のDNA型が犯人とほぼ一致するとの鑑定結果を得たものの逮捕に至らなかった。
しかし、2年後の1994年9月23日、女児の衣服についていた繊維片が、久間さんが所有する車のシートの物と一致したことが決め手となって死体遺棄容疑で久間さんを逮捕、そして起訴した。
その後、福岡地裁は、1999年9月に死刑判決を言い渡した。そして最高裁判所は、2006年9月8日に、「原判決の事実認定は、正当として是認することができる」と上告を棄却し、久間さんの死刑が確定した。そしてわずか2年後の2008年10月28日、福岡拘置所において久間さんの死刑が執行された。
「西の飯塚、東の足利」と言われたように、共にMCT118型検査法によるDNA型鑑定が同様の時期に同様の科警研メンバーによって実施されたという共通性は認識されていたところ、足利事件において残存する現場資料の再鑑定が動きだそうとした頃に、本件久間さんの死刑が執行された。久間さんは逮捕されてから一貫して無実を主張し、死刑執行の瞬間まで無実を訴え続けたのである。
この事件は、無実の人間の死刑を執行した可能性もある(その可能性が高いと感じる)、つまり無実の人間を国家が殺害した可能性もあるという、死刑制度を揺るがすほどの極めて問題の事件であることは間違いない。
この事件について十分に知った上で、死刑制度賛否については議論すべきだと強く感じた。
特に死刑賛成派(存置派)の方には必ず内容を十分に知って頂きたい事件である。
②事件の考察
この事件が冤罪と思われる主な5点について見ていくことにする。
1、車の目撃証言
2、DNA鑑定のおかしさ
3、その他の状況証拠の問題
4、被告は一貫して無実を主張 自白なし
5、死刑執行の早さ、時期の問題