狭山事件
1、事件概要
1963年5月1日、埼玉県狭山市内の川越高校入間川分校別科1年生(当時16歳)に在学する裕福な農家の四女・中田善枝さんが、誘拐された後、殺害された女子高生誘拐殺害事件である。
善枝さんは、下校途中に誘拐され、犯人から身代金が要求されたことから、5月2日の夜中に警察は、身代金受け渡し現場に43人もの警察官を配置したが、犯人を取り逃がすという大失態を犯した。
善枝さんは、5月4日に狭山市入間川の雑木林近くの農道に埋められた死体となって発見され、司法解剖の結果、誘拐直後に強姦された上、殺害されたとされた。
当時、警察は、同年3月31日に発生した「吉展ちゃん誘拐事件」で、犯人を取り逃がしていたことから、次いで起きた「狭山事件」での犯人取り逃がしについて強い批判を受けた。
事件発生から22日後の5月23日、遺体遺棄現場近くの被差別部落に住む石川一雄さん(当時24歳)が、窃盗、暴行、恐喝未遂容疑で逮捕されたが、これは、善枝さん殺害容疑を含まない、いわゆる別件逮捕であった。
逮捕された石川一雄さんは、20日間容疑を否認したが、この間、手錠腰縄で取り調べを受けたほか、トイレや食事の時も手錠が掛けられたままであった。さらに警察は、石川一雄さんを一旦保釈し、その後すぐに再逮捕するという行為で、心理的・精神的にも追い込んだりした。
そして石川さんは、逮捕から29日目の6月20日、善枝さん殺害への関与について自白を始めた。
石川さんは、強盗強姦・強盗殺人・死体遺棄・恐喝未遂・窃盗・森林窃盗・傷害・暴行・横領で起訴され、一審では全面的に罪を認めたが、一審死刑判決後、一転して冤罪を主張した。しかし、無期懲役刑が確定し服役した(1994年に仮釈放されている)。
石川さんが犯人であるとする警察・検察の主張は、疑わしい点が非常に多く、冤罪と言わざるを得ない事件である。また同事件後、関係者が6人も自殺・変死しており、この点からも謎多き事件と言わざるを得ないだろう。
なお、その後、被害者の姉も、精神錯乱を起こし自殺しているが、これは、真犯人が石川一雄さんではなく、近親者であることに気付いたことによるものとの推測もある。
2、事件の考察
この狭山事件が冤罪であると思われる主な4点について見ていくことにする。
①万年筆の発見時期、インクの色、指紋無し
②矛盾した自白
③脅迫状の信憑性(文字能力、筆跡鑑定)
④その他