袴田事件
事件の概要
袴田事件とは、1966年6月30日静岡県清水市の味噌会社の専務宅で発生した強盗殺人放火事件である。全焼した現場から、刃物による多数の傷を受けた一家4人が死体で発見された。事件から1ヶ月半後警察は、味噌会社社員で元プロボクサーの袴田巌さんを容疑者として逮捕した。その後裁判で死刑確定したが、袴田さんは一貫して冤罪・無罪を訴え、2014年3月に再審を命じる判決が出た事件である。
事件の考察
この事件は、知れば知るほど本当にひどい冤罪としかいいようがない。そのポイントはいくつもあるが最大の問題は、証拠のねつ造だ。主な点を3点を紹介する。
- 衣類のねつ造
- 裏木戸写真のねつ造
- 自白について
事件の考察 ①衣類のねつ造
1年2ヶ月間、味噌づけになっていたシャツやステテコが、写真を見れば一目同然、味噌の色に全くといっていいほど染まっていない(写真①)。このようなことが、科学的にあり得るのか。
実際に実験で味噌樽に1年2ヶ月間つけたステテコの色は、大量の血痕の色も全くわからないほど、黒く味噌の色に染まりきっているのである(写真②の上のシャツとステテコ)。
以上からしてこのシャツとステテコが、事件の1年2ヶ月後に現場の工場の味噌樽の中から見つかったこと自体がねつ造の可能性が高いとしか言いようがないのでないか。
これ以外にも犯行時の着衣とされた鉄紺色ズボンについては、東京高等裁判所で3回にも渡って装着実験を行ったが、サイズが合わずいずれの機会もはけなかったのである。
東京高裁は、このはけない理由についてズボンが味噌で縮み、袴田さんが太ったからだと認定した。そしてこの鉄紺色ズボンの内側に記された「B」のいう文字は、肥満用のサイズを表すとも認定していたわけである。
しかし、実際はこの「B」という文字は、サイズを表すものではなく、「色」を表していることが後に明らかになった。そして驚くべきことに、検察官はこの事実を知っていて、虚偽の主張をずっと続けていたことも明らかになったのである。
これが犯行時の着衣とされた5点衣類の写真である。
まず、この5点の衣類の下半身の返り血に疑問があるとされている。
まず被害者の専務の血液型がA型、奥さんがB型、次女が0型、長男がAB型であった。
鉄紺色ズボンに付着している血液はA型である。
白ステテコにも付着している血液型はA型であるが、ズボンと位置がずいぶんすれているし、なぜか返り血の量もステテコの方がかなり多い。さらに奇妙なのは、パンツに付着した血液は、B型とA型である。特にこのB型の返り血は、ズボンとステテコに付着していないことを考えると、ズボンとステテコを飛び越えてパンツに付着したことになる。
O型の次女も他の3人と同じように10カ所近く刺されて殺害されてるので、犯人はかなりのO型の返り血を浴びていたと考えられるが、この「5点の衣類」にはO型の血液だけなぜか付着していないのも不自然である。
犯行の際に、被害者との格闘の際に袴田さんがけがをしてシャツについたとされる血液痕を最新のDNA鑑定によって、袴田さんの遺伝子と一致しているか調べたが、違うことが明らかになったのである。
「1966年、静岡県のみそ製造会社の専務の家で家族4人が刺殺され、現金が奪われ、自宅が放火されたいわゆる「袴田事件」。元プロボクサーの袴田巌さんの死刑が確定したのは1980年、今から33年前でした。逮捕から半世紀近くが経ち、27日に静岡地裁が再審開始を決定した決め手となったのは、証拠として提出されていた犯行時に犯人が着用していたとされる衣類への疑いでした。犯行時の着衣とされる5点の衣類に付着した血痕は、DNA鑑定の結果、「袴田さんのものと一致しない」と弁護側、検察側ともに結論付けていました。静岡地裁は、この5点の衣類について「袴田さんのものでも犯行着衣でもない」と認定。更に捜査機関によって「証拠が捏造(ねつぞう)された疑いがある」と厳しく指摘しました。袴田さんの拘束を続けることについては、「耐え難いほど正義に反する」として拘置を停止する判断を下しました。」