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"和歌山カレー事件”林死刑囚・長男の壮絶すぎる半生

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「もう逃げない」“和歌山カレー事件”林眞須美死刑囚・長男の壮絶すぎる半生
11/30(土) 18:01配信 AbemaTIMES

 

 1998年7月25日に発生した和歌山毒物カレー事件(夏祭りの屋台のカレーに毒物が混入され、4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒となった事件)で逮捕・起訴された林眞須美死刑囚。林眞須美死刑囚の長男・林さんは当時10歳だった。林さんは、両親が逮捕された日のことを今でも鮮明に覚えているという。

 

 「父親と母親がそれ(=カレー事件)以前に保険金詐欺をやっていて、逮捕された」と話す林さん。林眞須美死刑囚は、1998年12月にカレー事件で再逮捕された。
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 逮捕前からも疑惑の目を向けられていた林さんの自宅には、事件発生直後からマスコミが押し寄せていた。マスコミに向けてホースで放水している林眞須美死刑囚の姿が有名だが、林さんは「ホースで水を撒いてるだけが母親じゃないよって伝えていきたい」と声を震わせた。

 

 「実子から見て林眞須美死刑囚はどのような母親であったか」という質問に、林さんは「教育熱心でした。もし親から虐待とかされていたら、僕はこういう活動ってしていないと思うんです。思い出せば出すほど、幸せな記憶しか残ってない」と答えた。

 

  林さんは2019年夏に著書『もう逃げない。今まで黙っていた「家族」のこと』を刊行。事件の影響により苦境に立たされることが多かった半生、一方で確かに両親が犯した保険金詐欺の事実に向き合い、自分の人生をリスタートしていければという思いで筆を執ったという。

 

  1998年に起きたカレー事件当時、10歳だった林さんは、その後加害者の長男として、壮絶な人生を歩んできた。

 

  事件発生後は、マスコミが家の中の様子を探るため、林さんに「アイスクリームを買ってあげるよ」「芸能人のサインを貰ってきてあげる」などと言ってきた。報道が加熱していく一方、夏休み明けには同級生から「林くんとは遊んじゃダメだってお母さんに言われた」と距離を置かれるようになる。しかし、母親は「やっていない」と言い続けていたため、友人たちに距離を置かれる現実がまるで理解できなかった。両親の逮捕直前にはマスコミが集まり、学校や塾にはほとんど行けない状況で、家の中で過ごす日々が続いた。

 

  そして同年10月4日の早朝、林さんの両親が逮捕された。子どもたちには、自宅に来た女性警察官が「児童相談所に行くから荷物を1~2週間分まとめるように」と告げた。林さんは1週間程度で自宅へ戻れると考えていたが、結局すぐには戻れなかった。

 

  両親が保険金詐欺で数億円を詐取していたこともあり、生活的には裕福だった林家。林さんたち4人きょうだいは、自らの非行で児童相談所に入ってくるような子どもや、親に虐待されて育った子どもたちと暮らすことになる。

 

  「犯罪者の家族にだったら何をしてもいい、何を言ってもいい」と捉えた人たちから「生まれて初めて悪意のこもった暴力を経験した」と述べる林さん。林さんはそれまで喧嘩をしたことがなかったため、いじめてくる子どもたちには勝ち目がなく、一方的かつ理不尽な暴力に曝され続けた。これには職員も見て見ぬふりだった。

 

  さらに「ポイズン(=毒)」「サラブレッド(犯罪者2人の息子としての悪い意味)」というあだ名で呼ばれたり、ニキビが1つできるだけで「ヒ素の後遺症じゃないか?」と貶された。

 

  長女の意志によって、きょうだい4人は全員同じ施設に来たが、児童相談所では男女別々の部屋になる。そのため、長女と次女、三女は同じ時間を過ごすことができても、長男である林さんは部屋が違ったため、いじめの対象になりやすかった。

 

  「姉や妹に心配をかけられない、男としてカッコ悪い」と考え、いじめられて怪我をしても「自分でコケた」と説明し、耐えていた。結果、鼻は2回折れ、モデルガンを使って至近距離から顔を打たれたことで前歯は差し歯になってしまった。

 

  2002年に荷物を回収し一時帰宅したが、その後自宅は放火されてしまう。放火される前から自宅の外壁は色付きスプレーなどで落書きだらけだったが、いよいよ林さんら4人のきょうだいは帰る家がなくなってしまう。

 

  17~18歳ごろには流石に耐えきれなくなり、施設から脱走を繰り返した林さん。駅の障害者用トイレなどで寝泊まりし、補導されては施設に戻される生活だった。

 

  児童相談所には18歳まで居られるが、児童相談所から卒園後も苦労の連続だった。住所がないため仕事が探せず、出所後、しばらくは野宿生活。施設の就職斡旋を受けた姉が、賃貸マンションを1室借りることができ、ようやく林さんもその住所でアルバイトを始めることが可能になった。

 

  勤務先には「両親は幼少時に交通事故で亡くした」と嘘をつき、アルバイトを始めた林さん。しかし、勤務先の名札から地元の人にバレてしまい、店舗に苦情が入った。

 

  アルバイト先の店長から「(林さんが勤めているのは)衛生的に良くない」と言われ、自身がそこで働くことを求められていないことを察し、退職。以後、同じようなことが何度も続く。

 

  ここまでの仕打ちを受け続けた林さんだが、地元を離れず、改名もしていない。その理由に、出所してきた父親の存在がある。出所してきた父を見放し「改名したり身を隠したりするのは、母親の罪を認めてしまったように感じてしまう」と話す林さん。著書のタイトルにもなった“もう逃げない”の言葉通り、力強い様子で受け答えしていた。
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(AbemaNews/「Wの悲喜劇 ~日本一過激なオンナのニュース~」より)