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【特集】冤罪から10年…村木厚子さんは今 悩める女性に支援を

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190320-10000001-mbsnews-l27&p=1

【特集】冤罪から10年…村木厚子さんは今 悩める女性に支援を
3/20(水) 13:28配信
 
MBSニュース

 

2009年に厚生労働省の局長だった村木厚子さんが大阪地検特捜部に逮捕された「郵便不正事件」。その後、検察側のずさんな捜査が判明し一転、無罪となった冤罪事件です。事件から10年経った今、村木さんは厚労省を定年退職し、貧困やDVに苦しむ若い女性たちの支援に取り組んでいます。そのきっかけとなったのは、大阪拘置所で過ごした日々でした。
  

 

拘置所での164日間
 

厚生労働省の元事務次官・村木厚子さん(63)。10年前、無実の罪を着せられ大阪地検特捜部に逮捕されました。無罪となった今は、全国各地で講演をするなど忙しい日々を送っています。特に熱を込めて話すのは、拘置所で出会った若い女性の受刑者たちのことです。

 

「私のところに毎日3食食事を運んで来てくれる人たちも刑務作業をしている人たちで、検事さんに『あの子たちは何をしたんですか』って聞いたら、薬物と売春って言われました」(村木厚子さん)

 

 事件が起きたのは、村木さんが厚労省の局長だった2009年。活動実態のない障がい者団体に偽の証明書を発行するよう指示したのではないかという疑惑が持ち上がり、村木さんは連日、国会やマスコミに厳しく追及されました。そして、虚偽公文書作成などの疑いで大阪地検特捜部に逮捕・起訴されます。将来の事務次官候補といわれた女性キャリア官僚は一転、刑事被告人となりました。

 

 「ある日突然、一夜にして、自分の立場が変わることがあるっていうことがわかった。なかなか経験できないですよね。拘置所に入ることもそうだしね、マスコミであんなに大騒ぎになることもないし」(村木厚子さん)

 

拘置所での日々は過酷なものでした。便器と小さな洗面台だけがあるわずか3畳の独居房に入れられ、風呂に入ることが許されるのは夏場でも2日に1回、冬場は3日に1回。この生活は164日間にも上りました。

 

保釈された時には足腰が弱り、体重は6キロ落ちていました。一貫して無罪を主張し続けた村木さん。裁判で検察側のずさんな捜査などが明らかとなり、逮捕から1年3か月を経て無罪判決を勝ち取りました。

 

 「(判決の瞬間)言葉には表しようがないんですけれど、本当に心臓が1回非常に大きな鼓動を打ちました」(村木厚子さん・判決後の会見)

「子どもとか若い人を救えていない、困っているのを発見できていない」
 

その後、厚労省に復職。事務次官になり官僚のトップにまでのぼりつめましたが、その間もずっと気がかりだったことがありました。拘置所で出会った若い女性受刑者たちのことです。

 「女性で薬物を使う人っていうのは暴力の被害者だっていうことがすごく多いとか、売春もやっぱり誰にも優しくしてもらえないから、そういう仕事で知り合っても誰かが自分を求めてくれるというのがすごく嬉しいとか、そういうことがあるって聞いて。やっぱりこれは、子どもとか若い人を救えていない、困っているのを発見できていないから、みんな追い込まれているというのがすごく実感としてあったので」(村木厚子さん)

 

そして、定年退職を機に行動を起こします。貧困や家庭内暴力などに苦しむ10代から20代の女性を救う取り組み「若草プロジェクト」を立ち上げました。その志に真っ先に賛同したのが、同じく激動の人生を生きた女性、瀬戸内寂聴さん(96)でした。

 

 「罪もないのに捕まって苦労した人のことを調べていて。本当に心配していたんですよ、どうなるかと思って。(村木さんは)実にさわやかだからね、驚いちゃって尊敬してるの。似たようなこと(女性支援)をしたことがあるんです。でも1人でするからそんな十分なことはできないでしょ。その想いがあったから、私は日本で一番信頼しているのがこの方なの。くっついて(活動)すれば間違いないと思って」(瀬戸内寂聴さん)

 

非行に走る少女たちは、救いを求めている被害者
 

プロジェクトの一貫として始めたのがLINE相談。少女たちと年齢の近いNPO法人の女性たちにお願いし、相談窓口を設置するといじめや親からの虐待など悲痛な叫びが次々と届くようになりました。緊急時には弁護士を紹介するなどの支援につなげています。また医師や弁護士施設の職員などを対象に、苦しむ少女たちにどんな支援が必要かについて勉強会を開催。少女たちをサポートする支援者の育成にも力を入れています。

 

あの時、拘置所で見た少女たちは悩みを相談できない孤独な環境に苦しんだ末、罪を犯したのではないか…非行に走る少女たちが実は一番、救いを求めている被害者なのだと訴えます。

 

「困窮している人には共通点がふたつある。ひとつは複数の課題、複数の困難が重なった人であること。もうひとつは社会とのつながりが切れている人である。悪いことをして刑務所に入れられた人って見えた彼女たちが、実は大変厳しい困難が襲いかかってきた人たちであることが、だんだん自分にも見えてきました」(村木厚子さん)

 官僚としてのキャリアと拘置所生活。正反対の二つの経験をした村木さんでしか語れない話です。

 

「その場にいたからこその発想なのかなっていうのはあって。拘置所という場所に入って拘置所の中の違和感に気づける感性をお持ちっていうのも、それはすごくかっこいいところだなとは思います」(講演を聴いた人)

 

少女たちの受け入れシェルター「若草ハウス」完成
 

そして去年、助成金が集まり村木さん念願のプロジェクトが形になりました。家庭内暴力などで家を出てきた少女たちを受け入れるシェルターが東京都内に完成したのです

 

「悪いお兄さんに泊めてもらわなくてもいい、今晩一晩泊まれる場所があればいいのにねって。シャワーが浴びられて携帯の充電ができて、絶対安心して一晩泊まれる場所がまずあればいいのにねって」(村木厚子さん)

 

 2階建ての小さな一軒家ですが、初めてできた「居場所」を「若草ハウス」と名付けました。

 

「やっぱり狭い部屋なので、いかに使い勝手をよくするのかというのと、ベッドを置いても(下のスペースに)モノが置けるちょっと落ち着ける場所にするのに、どうすればいいかっていうのを話していたんですけど。いい感じになりました」(村木厚子さん)

 

 小さなハウスがひとつできただけで社会が変わるわけではないと冷静ですが、悩める少女たちに寄り添うには何ができるか考え続けています。

 

「自分が支えられる立場になって、世の中には支える人と支えられる人の2種類の人間がいるんじゃなくて、みんな支えてもらわなきゃいけないことがあるし、逆に誰かの役に立てる、お互いにそうなんだっていう。だから困ったときには助けてって言いやすくて、自分のできることで誰かを支えるということを誰もが少し気軽にできると、みんなすごく楽になるんじゃないかなと思ってます」(村木厚子さん)

 

無実の罪を着せられて10年。村木さんは、あの経験を糧に走り続けています。

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