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「犯罪の加害者を責めません」——ある遺族の選択とは

https://news.yahoo.co.jp/feature/710

 

「犯罪の加害者を責めません」——ある遺族の選択とは
8/7(月) 10:06 配信

 

大切な家族を殺された遺族の喪失感や加害者への怒り。それらは、他人に想像できるものではない。しかし、2006年に長女の歩さん(当時20)を殺された中谷加代子さん(56)は「怒り」を消し、刑務所で加害者たちと向き合う活動を始めた。伝えるメッセージは「幸せになって」。加害者を「責める」ことなく、常に「寄り添う」。どうして、そんなことができるのか。なぜ、そんな道を選んだのか。(益田美樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)

 

9人の受刑者と向き合う
円を描くように椅子が並んでいた。9人の女性受刑者が怯えたように座っている。私語はない。既に涙を流している女性もいる。中谷さんは9人の視線の先にいた。「皆さんに…」と中谷さんが口を開く。お互い、緊張感でいっぱいだ。

 

 「自分の気持ちをぶつけてやろう、決してそんなつもりで来たわけではありません」
山口県美祢市の美祢社会復帰促進センター。「センター」の名を冠しているが、刑務所だ。日本初の官民協働運営型の刑務所として2007年4月に設立され、現在は男女計約720人が収容されている。
受刑者は殺人などを犯した。一方の中谷さんは2006年8月、高等専門学校の5年生だった長女の歩さんを殺された。犯人は同級生だった男子学生。自殺して見つかったため、動機など詳しいことは分かっていない。

 

 被害者遺族と、別の事件とはいえ殺人などの加害者たち。さほど広くない部屋で双方が向き合う。その90分間が始まった。

 

娘が殺された日のこと
歩さんが生きていた頃の話をした後、中谷さんは事件当日のことを語った。
「警察署の鉄筋の建物とは別に、隣に小屋みたいなものが建っていまして、そこに連れて行かれました。その中に、ねずみ色の大きなビニール袋が置いてあって、一部に白い布が掛けてあった。それを刑事さんが取りました。歩がいました。何回呼んでも、歩は目を覚まさなくて…。首から下はビニールに入っているから、抱きかかえるとか、手を触るとか、何もできなくて、ただただほっぺたを触った。柔らかかった」

 2012年から年に1、2回、中谷さんはここに来ている。矯正プログラムの一環として、自らの体験や考えを受刑者に伝えるためだ。手にはスケッチブック。手描きの絵や写真を使い、紙芝居のように話す。

 「警察署からの帰り道は、前が見えないくらいの土砂降りでした。お父さんが運転して帰ってきたのですけど、『この雨は歩の怒りの雨。歩が許すはずはない。犯人は絶対にすぐ捕まる』と思いました。心の中は、真っ黒い雲が渦巻いていました。この時、目の前に犯人がいたら、私、本当に何をしたかわかりません」
「火葬場で骨になった歩を見たのに、なかなか、現実を受け入れることができませんでした…髪の長い女の子が自転車で行きよったら、『あれ、今の歩じゃなかった?』って、のぞきこんで……」

 

 「親なのに、歩がおらんのに、何で私が生きているのか。自分が生きていると感じたとき、本当に嫌だと思った。あの時、歩と一緒に死ねたら楽だったのかもしれません。髪を切りに行った時も、歩と一緒に行ったことのある美容院で、タオルを外せなかった。どこに行っても、寝ても起きても、涙が流れ続けて」

 

「加害者もある意味、被害者かも」
中谷さんは事件後、ひどい精神状態に置かれていた。ベビーカーの男の赤ちゃんを見て、「この子も大きくなったら何をするか分からん」と感じたこともある。ただ、中谷さんが受刑者たちに伝えようとしたのは、そこではなかった。「その後」である。

 

 「犯人を前にしたら何をするかわからない」と思っていた中谷さんは、犯人を知って揺らいだ。加害者の男子学生は娘の同級生で未成年。事件直後に彼が行方不明になった時は「この事件に巻き込まれたのではないか」と本気で心配していたという。娘から聞いていた人柄からすれば、罪を犯すようには思えなかったからだ。
男子学生が自殺して見つかり、捜査結果を聞いた後は「心の内を率直に語り合える友人が彼にいたら、あるいは事件直前の微妙な彼の変化に家族が気づいていたら、事件は起こらなかったのでは」と思うようになったという。

 

 中谷さんの回復まで見守ってくれた職場の同僚、一緒に泣いてくれた友人、「歩さんの落ち度は千に一つもない」と言ってくれた捜査員……。多くの支えで立ち直りかけたころ、加害者の両親に会った。事件から1年半が過ぎていた。
「背を丸めるようにして、小さく、萎縮しきっていて。すごくやつれて見えました。で、思ったんです。『この人たちには、寄り添ってくれる人がいなかったのかもしれない』と。私は支えてくれる人に囲まれていたんだ、って気付いた。ありがたいと思いました。同時に、彼の両親も私と同じく、子を失った親だ、と思って。そんな経験をしながら、人に苦しい思いをさせる犯罪をなくしたい、と思うようになったんですね」

 

 目指すのは加害者との「対話」
2012年に中谷さんは30年以上勤めた仕事を辞めた。「犯罪被害者の遺族として何かできないか。自分の体験を警察などで生かしてもらえないか」と考えていた。夫には「おまえの話なんか、誰が聞くんか」と言われたが、何かができるような気がしていたという。
退職してすぐ、犯罪や事故に巻き込まれた人をサポートする山口被害者支援センター(山口市)の支援活動員になった。やがて、美祢社会復帰促進センターから講演の依頼が届いた。今では山口県だけでなく、県外の刑務所でも受刑者と向き合う。中学校や企業に出向き、「命の大切さ」をテーマに話す機会も多い。

もっとも美祢社会復帰促進センターで受刑者と向き合った時、中谷さんは一方的に講演するのではない。彼女が目指すのは「対話」だ。90分の終わりには、一人ひとりと言葉を交わす。
「みなさんを許すことができる最後の一人、それはみなさんご自身です。目指すのは、まずはご自身の幸せ。それでいいと思うのです」

中谷さんの語りかけに、「幸せになってもいいんですか」と震える声で返す人がいる。涙を流す受刑者もいる。生きることに罪悪感を抱いている受刑者たちも、事件がなければ、どこにでもいる女性と変わらない、と中谷さんは思うようになった。街で知り合えば、友人になっていたかもしれない、と。

 

 「幸せに」と加害者に。「おかしい?」
それぞれの受刑者にも犯罪に手を染めた理由があり、それは本人以外に起因した理由かもしれないー。この活動を通じ、中谷さんはそんなふうに感じている。
「犯罪被害者遺族が加害者である受刑者に対し、『幸せになって』と言うのはおかしいのかもしれません。でも、自分が自分の幸せを感じることで、他人の幸せを想像することができる。それが、人から言われたのではない、心からの反省を促す。そうした反省の気持ちは、被害者が亡くなっていたとしてもきっと伝わる。そう信じています」
中谷さんの姿勢や言葉に心を動かされるのは、受刑者ばかりではない。

 

 山口被害者支援センター事務局長の田上秀雄さん(68)は「中谷さんの話はいつまでも心に残る。遺族だからこそ、の深い内容です」と話す。同センター理事長の鶴義勝弁護士(47)も「(自分が遺族になったとしても)中谷さんのような境地になれるか、わかりません」と言った。

 

被害者遺族の仲間と新たな活動へ
中谷さんには、志を同じくする仲間が2人いる。
その1人は、神奈川県の小森美登里さん(60)。1998年に高校入学直後の長女を失った。いじめが原因の自殺だったという。それをきっかけに、いじめ問題の解決に取り組むNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」をつくり、自らの体験を語り続けている。

 

 もう1人の仲間は東京都在住の入江杏さん(60)だ。2000年末に起きた「世田谷一家殺人事件」で妹一家4人を殺された。入江さんもまた、長い時間をかけて生きる意味を考え、語り合う場を設けている。その集まりを「ミシュカの森」と呼ぶ。犠牲になった姪と甥が大事にしていたぬいぐるみの名を取った集まりで、毎年、参加者とともに「悲しみ」と「生きる力」について考えている。

 

それぞれ別々に活動していた3人は、2014年ごろから親しくなった。そして2015年の暮れ、山口宇部空港のレストランで3人がフライトを待っていた時、そのアイデアが生まれたという。

小森さんは、いじめで亡くなった子どもたちの写真をそろえ、展示会も開く。「悲惨な出来事を少しでも減らしたいから」。

 

小森さんが振り返る。
「遺族として犯罪を減らす活動を3人で始めましょう、と。目標は、苦しみの連鎖を断つこと。名前は『人権の翼』。その場で考えが次々に浮かんで……。即決でした」
小森さんもそれまで、加害者に働きかける活動を10年以上も続けていた。他の被害者遺族には、加害者への強い怒りが消えず、苦しんでいる人もいた。もちろん、それも理解できるという。しかし、怒りを持つだけでは、犯罪をなくすことはできないのではないか、と考え続けていた。
もう、被害者も加害者もつくりたくないーー。その思いから、3人は「人権の翼」のHPにこう記した。

 

 

「人権の翼」のHP
「犯罪の減少、再犯率の低下を願う中で、『私達にも何か出来ることがあるのではないか』と模索しました。そして、加害者の心に変化が起これば犯罪は減らせるのではないかとの思いに至りました。加害者が主体的に充実した人生を歩み、人と人が支え合って生きる社会を目指すことが、再犯防止への一助となるものと信じています」
活動は加害者向けの講演や加害者との対話を中心に、行政職員や中高生を対象に講演を行う。約200の関係機関に案内を出し、既に講演回数は30件を超えた。

 

「遺族だから伝えられることがある」
被害者遺族と加害者との対話を「良し」としない考えもある。この夏、関東地方の催しでは、ある専門家が「被害者が語ると、感情に流されるなどして、加害者を動揺させてしまう」と発言したという。それを耳にした入江さんはこう話す。

 

「行動の変容を促すには、ある程度の動揺は必要。それに、やみくもに被害感情を出すわけではなく、きちんと対話の場を持てる被害者や遺族もいます。これまで活動してきた専門家と中谷さんのような人が協働することで、より効果的な加害者との対話が生まれると思うんです」
実際、中谷さんが関わる受刑者との対話は、念入りに準備して行われる。美祢社会復帰促進センターの場合、中谷さんを招くのは8週間のプログラムの後半。前半は受刑者個々人が事件を振り返る。同センターによると、一人ひとりが事件を振り返る時間を確保してこそ、被害者のことをきちんと理解でき、中谷さんとの対話も生きるという。

 

 

再犯防止の活動「体の続く限り」
警察庁によると、刑法犯の認知件数は約285万件と過去最高を記録した2002年から減少傾向にある。2015年は109万件余り。一方、検挙者数に占める再犯者の割合は一貫して上昇している。2015年の検挙者は、初犯12万4411人に対し再犯者は11万4944人を数え、再犯者率は48%に達した。

 

 

 加害者との対話を通じて、その傾向に少しでも歯止めをかけたい。その思いで中谷さんは走ってきた。
娘が犠牲になった事件から11年。遺影の歩さんは20歳のままだが、歩さんの友人は子どもを連れて遊びに来る年代だ。中谷さんもそれだけ年をとった。

 

 

 「活動をいつまで続けられるか、分かりません。犯罪被害者遺族の中には、他にも(加害者との対話などの)活動をしている人がいます。私もまずは仲間3人で、できることをやっていきたい、と。体が続く限り、犯罪を減らすための取り組みに関わっていきたいと思います」

 

 

益田美樹(ますだ・みき)
ジャーナリスト。元読売新聞記者。
英国カーディフ大学大学院(ジャーナリズム・スタディーズ専攻)で修士号。