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足利事件

事件の概要

1990年5月12日、栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から4歳の女児が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見された。

 警察は、容疑者として菅家利和さん(以下、管家さんとする)を逮捕した。管家さんは、逮捕直後に自白したが、拘置所移管後、無実を訴え続けてきた。2000年に最高裁で無期懲役が確定したが、2009年5月に遺留物のDNA型が彼のものと一致しないことが再鑑定により判明し、彼が無実だったことが明らかとなった。服役中だった菅家はすぐに釈放され、その後の再審で無罪が確定した事件である。

事件の考察

この事件は、冤罪であることが完全に認められた事件である。冤罪の成立には、①暴力を含む過酷な取り調べにより得られた自白、②当時のずさんなDNA鑑定と③それに対する裁判所の理不尽すぎる対応、などの要素がある。特に、DNA鑑定は本件で決め手となっており、見逃せない点である。

 

以下にポイントを説明する。

①取り調べの問題

菅家さんは釈放後の記者会見で、当時の取調べの状況をこう説明した。「刑事達の責めが酷かったです。『証拠は挙がってるんだ、お前がやったんだろ』とか『早く吐いて楽になれ』と同じ事の繰り返しでした。」

 

取り調べにおいては、殴る蹴るに加え、頭髪をつかんで引きずり回されたり、体ごと突き飛ばされる等、拷問に等しい暴行が行われていた。また1回の取調べの時間は15時間近くにも及んでいたこともある。

 

そもそも菅家さんは争いを好まず、他人と関係がうまくいかないと、相手に迎合するような態度で衝突を避ける性格だったとされている。自分の意志を通すのが苦手で、迎合的な態度でその場その場をしのいで生きることが身についていたのでは無いだろうか。

(おまけに最初の弁護人までもが無実の訴えを一向に聞き入れなかった。)

暴力有りの強圧的な長時間に及ぶ取り調べの受ける中で弱気になり、その警察官からの責め苦から逃れたいために自白をしてしまったのであろう。

取り調べた刑事達については菅家さんは、「私は刑事達を許す気になれません。それは検察や裁判官も同じです。全員実名を挙げて、私の前で土下座させてやりたいです」とも述べた。

②DNA鑑定関係

次に最大の問題のDNA鑑定の問題についてだが、まずは菅家さん逮捕関連の以下の新聞記事を読んで頂きたい。

1991年12月2日日経新聞
1991年12月2日読売新聞朝刊
1991年12月29日毎日新聞コラム
1991年12月3日 朝日新聞朝刊

この記事を見ると多くの人は「DNA鑑定ってすごい」、「犯人は元々ロリコン趣味で怪しい人物だったのか」のように、感じるのではないだろうか?偏向的な報道、そしてそれによる情報操作というのは改めて怖い物である。

 

まずそもそもだが、DNA鑑定は個人を正確に特定できるわけではない、という事実が捻じ曲げられている。DNA鑑定は本来、型を鑑定する方法だ。つまり、犯人のDNA型と容疑者のDNA型が異なる場合、容疑者が犯人でないことが明確になる。逆に、犯人と同じ型だった場合は、犯人である可能性は高まるが、その事実だけをもって容疑者=犯人とはならない。

 

さて当時のDNA鑑定について考察してみよう。

 

科学警察研究所(以下、科警研とする)によって、川の中に捨てられた被害者の半袖シャツについていた犯人の体液のDNAと、菅家さんの体液のDNAが比較された。それらが一致すれば、菅家さんが犯人である可能性が残される。しかし逆に、不一致であれば菅家さんが犯人でないことが証明されるわけである。

 

TBS報道特集NEXTより

科警研が開発したMCT118法という鑑定法で、鑑定した結果菅家さんも犯人も同じ「16-26型」と判定された。ただ上記の右の写真を見る限り、犯人の26型については、薄くてよく見えない。しかしこの結果が、判決の決め手となってしまったのだ。

 

そしてそれ以前の話だが、MCT118法にはもっと根本的な問題があったのである。

 

 

 

右の画像のようにDNAの二重らせんの構造の内側ある塩基の配列部分を使って鑑定する。

塩基には、A(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)の4種類が存在する。

Oncology Basics 2016: DNA

MCT118鑑定法は、このDNAの内側に存在する基本単位である「塩基」が16個ずつ1組になって繰り返されている部分を切り取って、それが何回繰り返されているかを調べる方法である。

TBS報道特集NEXTより

上の画像のように「塩基」が12回と15回の繰り返しになっている場合は、「12-15型」と鑑定される。

 

これら「12と15」は両親から受け継いだ2つの数字である。例えば父親から受け継いだ数字が12とすれば、母親から受け継いだ数字が15ということになる。これらの二つの数字の組み合わせによって個人を識別し、同一人物かどうか判断する。

そして実際の問題についてだが、このMCT118法で使われている塩基の繰り返しの回数を測る“マーカー”といわれる物差しが、あまりにおざっぱ過ぎたのである。MCT118法は、123マーカーと呼ばれる物差しを使っていた。これは123塩基の長さを1単位としていた。

 

つまりこの123塩基の物差しを使って16塩基の繰り返しの回数を測っていたということになる・・・

123センチと16センチの違い

例えて言えば、16センチのものがいくつあるか測りたいのに、123センチで一目盛りの物差ししか無かったと言うことである。

 

これでは誰がどう考えても正確に測れるはずがない・・・。

 

これは「おおざっぱ」どころか、それはもう「でたらめ」レベルと言わざるを得ない。

 

最低16センチ、できれば半分の8センチくらいの物差しがないと正確に測れないだろう。

こうした批判を受けて、科警研は1993年に古いマーカーでの鑑定が間違っていたとの論文を発表した。その中で古いマーカーでの数字が、正確にはいくつになるかの対照表を発表した。

 

科警研は古いマーカーでの鑑定は間違ってはいたが、正しい数値とほぼ一対一で対応するので問題は無いと主張していた。そしてこの対照表によって菅家さんも犯人にも、「16-26型」でなく「18-30型」であるとしていた。

 

ここでまず問題は、DNA鑑定では、ほぼ一対一というのはあり得ないわけである。数字が1つ違えば、それは全く別人を意味する。

 

弁護団は、「古いマーカーの鑑定が間違っていた」「ほぼ一対一で対応」という科警研の主張によって、123マーカーを使っての鑑定に対してに疑念があるとし、裁判で新しいマーカーで再鑑定をすべきだと主張したが、最高裁判所はそれを認めなかったのである。

 

そこで困った弁護団は、日本大学の押田茂實教授(以下、押田教授とする)に、最新のDNA鑑定法で再鑑定してもらえないかと何度も依頼することにした。

 

最初は押田教授は、あまり乗る気では無かったようだが、弁護団の熱意に押されて、その後DNA再鑑定をすることを了解する。

 

そして、弁護団は、菅家さんに拘置所から髪の毛を何本か抜いて手紙と一緒に封筒の中に入れて送ってもらうように頼んだ。そしてそれを受けて、1997年1月菅家さんから弁護団に髪の毛44本を封筒に入れて送られてきた。そして弁護団が、その44本菅家さんの髪の毛を元に押田教授に最新のDNA鑑定法で再鑑定を依頼したのである。

 

そして最初に押田教授は予備試験的に検査したところ、犯人とされている「18-30型」ではなく、「18-29型」という結果が出て、非常に驚いたようだ。

 

そして押田教授は、44本の内の他の髪の毛で繰り返し鑑定したが、やはり同じように「18-29型」と判定が出たのである。

 

このように押田教授による最新のDNA鑑定の結果、なんと菅家さんのDNAは「18-29型」であると判明したのである。

 

つまり科警研が菅家さんや犯人のDNA型と主張していた「18-30型」と違った検査結果が出たのである。

 

すくなくとも押田教授の鑑定結果は、菅家さんが犯人でないという重大な可能性を指し示していたわけである。

 

これは 1997年4月のことである。

 

驚くべきことに無罪確定(2010年3月26日)からなんと13年も前のことである・・・

冤罪File No.3 P88より

 

 

 

 

 

 

 

上の写真1が、科警研の作成した本件の鑑定書に添付された写真であり、写真2は、押田教授の鑑定写真である。

写真1はかなり不鮮明であり犯人のものと思われるDNAのバンドが極めて薄く、判別が困難である。

 

それに対して写真2は鮮明である。また、物差しにあたるマーカーについて見ると、写真2を見てもわかるように極めて間隔の広い123マーカーとそうでないアレリック・マーカーとの違いは明白である。

 

押田教授の検査結果はこの写真を見ても、かなり説得力を持つと言わざるを得ない。