名張毒ぶどう酒事件 その5
その結果、この写真の通り一目瞭然、傷の形、深さなど全く違うことがわかったのである。
この現状で、これが死刑判決の物証になるのは不合理過ぎると言わざるを得ない。
さらに王冠の足についても触れておく。
この王冠は4本の足で瓶の頭部を塞いでいる。
4本の足ののうち3本は、L字型になっているのに対して、1本だけかなりぐっと曲がっているのである。
これが、奥西さんの自白通り歯で噛んで開けたときに生じる曲がりだろうか・・・
弁護団は、塑性力学の専門家の名古屋大学の石川孝司教授にこの王冠の足の部分の鑑定を依頼した。
コンピュータ解析を結果は、栓抜きのような物を横から押し当てた時に、形成可能であると判明した。そして石川教授は、歯で噛んだ場合の点接触では、力の痕跡が残りやすく、この王冠は歯でないと明言した。
また、弁護団は、自ら王冠の現物を全く同じ材質で作って実験してみたのである。まったく同じ王冠を再現して実際に奥西さんが自白したとされる全く方法で歯で噛んでこのような曲がりが作れるかどうか実験してみたのである。
この実験を10人が10回ずつ行ったのである。その結果、奥西さんが歯で噛んだとされた王冠のようにつぶれて曲がる物は一つも無かったのである。
当たり前だが、この奥西さんが噛んだとされる王冠のように極端に、しかも曲がりの面が平行にくらいまで綺麗に曲がるためには栓抜きを使わないとできないだろう、実際の栓抜きで開けた実験もやっている。以下がその際の写真である
見ての通り、ほぼ同じになった。証拠品は歯で空けたのではなく、栓抜きが使われた可能性が極めて高い。これが死刑判決の証拠になり得るのか・・・・
3、村人の供述の奇妙な変更
死刑判決は、奥西さんだけが犯行が可能であると認定しているが、これについて検証してみたい。特に以下の2点が重要である。
①ぶどう酒が届いた時間
②村人の供述の変更
事件当日の重要事項の流れをまとめて見る。
日・時間 |
内容 |
3/28朝 |
1)三奈の会会長のAさんが農協職員Eさんにぶどう酒を買うことを指示する (ぶどう酒を懇親会で出すことを決めたのは事件当日3/28の朝であった) |
15時20分頃 (→17時頃に変更) |
2)EさんはM酒店で清酒2本とぶどう酒1本を購入して、会長Aさん宅に運んだ。受け取ったのは会長A氏の妻Bさん(事件で死亡)であった |
17時20分頃 |
3)奥西さんが会長宅に来て、清酒2本とぶどう酒1本を持って公民館に運んだ |
①のぶどう酒が会長宅に届いた時間は、事件当初は遅くとも15時20分頃とされていた。この場合は、ぶどう酒は会長宅に2時間近くも置かれていたことになり、奥西さん以外にも農薬を入れる時間があったことになる。
ところが奥西さんが、自白を初めてから2週間後に、これらの関係者の供述が一斉に変更されることになる。
事件直後の供述 |
事件から2週間以後の供述 |
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Eさん |
14時5分頃、M酒店で清酒2本とぶどう酒1本を買って、14時半~15時頃に会長宅に届けた |
清酒2本とぶどう酒1本を買って会長宅に届けたのは、17時頃であった。 |
M酒店 |
Eさんに清酒2本とぶどう酒1本を売ったのは14時半~15時過ぎ |
16時過ぎではなかったかといわれると、あるいはそうかもしれないと考えてしまう・・・。昼ご飯と晩ご飯の間であるということは間違いありませんが・・。 |
Tさん |
初期の調書はなぜか公開されていない |
会長の妻Bさんとともに17時5分~17時10分頃にIさんから受け取ったと思う |
(Tさんは、会長Aさんの実の妹であり、清酒2本とぶどう酒をEさんから、会長の妻Bさんとともの受け取ったとされる人物である)
奥西さんが自白した後に、このように村人の証言が一斉に変更されるのは、あまりにもおかしいのではないか。詳細は書かないが、その証言の変更の合理的な説明もほとんどないに等しい。
しかも、その変更は、全てぶどう酒に農薬を入れることができたのは、奥西さんしかいないとする奥西犯人説を肯定する物になっている。
常識的に考えても、事件直後の記憶の方が2週間後の記憶より正確ではないか。
しかし、死刑判決は、この2週間後の供述を全て採用しているのである。