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名張毒ぶどう酒事件

①事件概要

名張毒ぶどう酒事件とは、1961年3月28日の夜、三重県名張市葛尾(くずお)地区の公民館で起きた5人が死亡した集団毒殺事件。三角関係の清算を犯行の動機とされ、容疑者の奥西勝(おくにし まさる)さんが4月3日に逮捕され、その後起訴された。奥西さんは、当初、自身の妻による犯行を主張も、後に農薬混入を自白したが、逮捕後は否認に転じた。

昭和39年一審の津地裁で「無罪」になるが、昭和44年二審の名古屋高裁では「死刑」という全く正反対の判決が出た。1972年6月に最高裁で死刑判決が確定した。

死刑確定後も裁判のやり直しを求め続けた。弁護団が2015年5月にも第9次の再審請求をして、新証拠を提出していた。

2015年10月4日、収監されていた東京都の八王子医療刑務所で死亡した。89歳だった。収監期間はなんと43年に及んだ。

②事件の考察

この事件が冤罪と思われる主な5点について見ていくことにする。

 

1、ニッカリンTの様々な矛盾

2、王冠の傷

3、村人の供述の奇妙な変更

4、奥西勝さんのアリバイ

5、奥西勝さんの自白の信憑性